コロナで死んでしまったあなたへ

 

拝啓

あなたがいなくなってからもう2週間が経とうとしています。あの日から、気温はだいぶ穏やかになり、春さながらというような表情を見せています。僕は相変わらず風邪もひかず、流行りの病気にもかからず、元気に過ごしています。

あなたの亡くなってしまった日、僕は僕と同じくあなたをとても想っていた仲間と共に、あなたの死を盛大に悼みました。涙を流す人もいました。怒る人、悲しむ人、励ます人、酒を飲む人、色んな人がいました。でも、僕たちは皆等しくあなたの死を悲しんでいました。これは間違いのないことだと思います。僕もあまりの悲しさ、悔しさに2,3時間慟哭しました。あの日は雨が少し降っていたけれど、僕がスタジオを出る頃には上がっていました。

あの日から、僕は家に引きこもりました。あなたの死を受け入れることができなかったのです。僕の醜く腐っていく姿を見て、人は気持ちを切り替えろ、とか、どうしようもないことだろ、と思うでしょう。けれど僕にはあなたの死がどうしても受け入れ難かったのです。それくらいあなたの存在は僕にとって重要なものでした。何度もあなたの後を追おうと思いましたが、それすら出来ずに日々は過ぎていきました。

次に家から出た時は、友人と会う時でした。僕の大切な友人たちです。彼らは、悲しむことより、それを忘れるため、忘れさせるために努力してくれていたように感じます。実際、彼らと会って僕はどれほど救われたか分かりません。普段は遊びにすら来ない彼も、徹夜してくれて、一緒に映画を見てくれました。彼は僕と同じくらいあなたを愛していたと思います。

それから、2,3日家に引きこもる期間と、2,3日家に帰らない期間が交互にやってきました。しかし、そのどちらにおいても僕は醜くあなたの死を、復活を願っていました。どうしてもあなたの存在が僕たちには必要でした。しかし、あなたの復活と引き換えに大切なものを失う可能性がある。その僅かな可能性が僕たちにとっては恐ろし過ぎました。

あなたの死のせいか、関係ないかは分かりませんが、僕のとても大切にしていた友人とも、仲違いをしてしまいました。あなたが生きていればこんなことは起こらなかっただろう、と思います。もしかしたら関係はないかもしれないけど。それでもあなたがいれば彼らとかけがえのない思い出を作ることはできていたと思うのです。

今日は本当なら卒業式があった日です。この2週間、様々なことがあり、様々な感情を重ね合わせ、思い出もいくつか出来ました。ただ、この日常にあなただけがすっぽりと抜け落ちているのです。理由を持って弾かれなくなったギターも、少し寂しげな表情で佇んでいます。あなたの死を受け入れている人はもうたくさんいるでしょう。そこまで大切に思ってなかったひとも少なからずいると思います。でも、僕は、大切な友人との約束や、大好きな後輩、同期、彼らとの一番の思い出を作れなかったことが本当に悲しくて仕方がないのです。今日、東京から友人がまた、いなくなってしまいます。それはすなわち、あなたの完全な死を意味しています。残念だったね、なんて言葉で片付けられないくらい、とても寂しいです。あなたの死によって、少しばかり得たものもありましたが、それにしても、ふと、あなたのことを思い出すと、悲しくてたまらないのです。どんなにあなたに似たものを探しても、あなた以外には存在しないのです。きっと、僕の人生においても、最も重要なものの一つになり得たでしょう。僕たちはあなたの存在しなかった3月を終えようとしています。どんなに思い出を作ってもまだ、僅かに受け入れ難いですが、もうすこし努力して、あなたの死を受け入れていきます。

 

敬具

 

 

 

 

 

 

 

追伸

あなたの復活を、それでも僕はまだ信じています。