腐敗する水

カフェ・オレ・グラッセにまとわりついた結露が、玉となって落ちる。1つ、2つ、3つ。落ちた露が木製の机の上に水たまりを作っていた。マスクをして髪を後ろで結んだ店員が、私に聞いたのと同じ質問を、斜め前方に座った男に聞いていた。

先ほどから、同世代のように思われる男女3人組が話をしていた。ウズベキスタンに卒業旅行へ行ったことや、生活に苦しんでいる友人の話なんかをしていた。私はその話を聞きながら、窓辺に腰掛けながら夜の街の風景を眺める男が描かれた小説を読んでいた。時折彼らの話を、店員の声や外を走る列車の走行音が曖昧にした。

カフェ・オレ・グラッセは中々減らなかった。誰かが知らぬ間に少しずつ注ぎ足しているのではないかとすら思える。底の方に溜まっていた白いミルクも、混ざり合ってクリーム色に統一されていた。そのくせ氷は統一されておらず、形も大きさもバラバラだった。溶けて丸くなっている。細身のストローをかき回すと、薄いグラスに氷がきつく当たる音がする。氷には重みがある。物質としての矜持を忘れていないかのような、確固とした重みがあった。

左膝を伸ばすと疲労を感じた。「歩き回った疲れが出てきたのだと思った。」本文を確認して、2文字訂正した。「歩き回った疲労が出て来たのだと思った。」

同年代と思われる男女3人組の1人の女がよく喋っていた。右の視界にうっすら映ってはいるものの、顔を確認することはできなかった。私の視は携帯電話の液晶画面に注がれていた。右手が精密機械のように動いていて、左手は親指を中にして硬く結ばれている。

窓からぬるくて心地よい風が入って来ていた。いつもビルの間を通り抜ける龍のような風にさらされているぶん、風を心地よいと感じられるのは、毎週土曜日もしくは日曜日のこの時間に限られた。

私は1人だった。特にやることもなかった。一度開いた本を読もうとしたが、これはダメだと思って鞄の中にしまってしまった。カバンの底部は破れて、布がほつれてダラリと垂れ下がっていた。カバンを買わなければと思った。思っただけで、特に行動は起きなかった。

円卓の上では何輪かの花が束になって花瓶の中に収まっていた。

何か行動を起こせるほどの情熱も、元気も残っていなかった。家に帰ったら小説を読もうと思った。実用書は明日気が向いたら読もうと思った。

店員が飲みかけのグラスを下げていった。彼は机の上に広がる水たまりを鉄紺のタオルで拭いた。私は、ちょうど同じ色の感情が心の中に生まれ出づるのを感じて、鈍く痛む後頭部を指で押し付けた。小さいグラスに入った水がまだ8割以上残っている。グラスを持ち上げると、机の上にまた新しい小さな水たまりが泡を拭いているのを認めた。

シュレディンガーの死後

「人生一度きり」ってTwitterのプロフ欄に書く奴がずっと嫌いだった。理由の一つとして、仲良くなれなそ〜と、プロフ画像を見ると思うからだ。でも、それが一番の理由と言うわけではなくて、じゃあ何なんだろうとぼーっと考えていたら、さっき答えらしきものが見つかったので書き留めておきます。

死後の世界をあなたは信じますか?

急に宗教勧誘っぽくなったけど違う。そういうわけではない。みなさんはどうだろう。信じてない!って言う人もいれば、天国はあるよ。ソースは俺。みたいな人もいるだろう。もしくは、宗教上の問題で本気で信じている人もいる。僕は、どっちも信じている。というか、この問いに対して全く分からない。

つまんねーと思われるかもしれないけど、でも実際そうじゃない?って思う。誰も死んだ人とは会話してないし、天国から帰ってきた人もいない。死んだ後に天国があるとも言い切れないけど、死んだ後の世界がないとも言い切れない。

要は、「シュレディンガーの猫」状態なのだ。シュレディンガーの猫知ってますか?ここで説明は省くけれど、要はそう言うことなのだ。死んだ後の世界も、それがない全くの無も、どちらも存在している。なぜなら死後の世界という名のパンドラの箱を誰も開けてないからだ。

だから、僕たちは好きな方を、好きな時に選択することができる。死にたくなった時は「まあ来世に期待するか!」ってなれるし、(もし死にたい人がいたら、死ぬ前にめちゃくちゃ美味い飯を食べに行きましょう。奢ります。)人生絶好調!ウェーイ!みたいな時は人生一度きりだからやりたいことやるぜ!ってなってももちろんいいと思う。金髪に染めてグッチのTシャツにダメージジーンズを合わせて、ザラザラのフィルターで自撮りをしたって良い。

何の話だよ、って思いますよね。自分でも衝動的に書き始めてしまったので、すごい当たり前のことを自分は言ってるのではないか…と思う。でも、なんとなく考えてたことをうまく言語化できたので、嬉しくなって書いてしまいました。

結論。死生観を勝手に定義すんな。以上。

 

もし死んだことがある人がいたら、死後の世界についてこっそり教えてください。

 

 

 

 

 

 

……………って思ったけどやっぱり死んだときの楽しみにしておきます。

コロナで死んでしまったあなたへ

 

拝啓

あなたがいなくなってからもう2週間が経とうとしています。あの日から、気温はだいぶ穏やかになり、春さながらというような表情を見せています。僕は相変わらず風邪もひかず、流行りの病気にもかからず、元気に過ごしています。

あなたの亡くなってしまった日、僕は僕と同じくあなたをとても想っていた仲間と共に、あなたの死を盛大に悼みました。涙を流す人もいました。怒る人、悲しむ人、励ます人、酒を飲む人、色んな人がいました。でも、僕たちは皆等しくあなたの死を悲しんでいました。これは間違いのないことだと思います。僕もあまりの悲しさ、悔しさに2,3時間慟哭しました。あの日は雨が少し降っていたけれど、僕がスタジオを出る頃には上がっていました。

あの日から、僕は家に引きこもりました。あなたの死を受け入れることができなかったのです。僕の醜く腐っていく姿を見て、人は気持ちを切り替えろ、とか、どうしようもないことだろ、と思うでしょう。けれど僕にはあなたの死がどうしても受け入れ難かったのです。それくらいあなたの存在は僕にとって重要なものでした。何度もあなたの後を追おうと思いましたが、それすら出来ずに日々は過ぎていきました。

次に家から出た時は、友人と会う時でした。僕の大切な友人たちです。彼らは、悲しむことより、それを忘れるため、忘れさせるために努力してくれていたように感じます。実際、彼らと会って僕はどれほど救われたか分かりません。普段は遊びにすら来ない彼も、徹夜してくれて、一緒に映画を見てくれました。彼は僕と同じくらいあなたを愛していたと思います。

それから、2,3日家に引きこもる期間と、2,3日家に帰らない期間が交互にやってきました。しかし、そのどちらにおいても僕は醜くあなたの死を、復活を願っていました。どうしてもあなたの存在が僕たちには必要でした。しかし、あなたの復活と引き換えに大切なものを失う可能性がある。その僅かな可能性が僕たちにとっては恐ろし過ぎました。

あなたの死のせいか、関係ないかは分かりませんが、僕のとても大切にしていた友人とも、仲違いをしてしまいました。あなたが生きていればこんなことは起こらなかっただろう、と思います。もしかしたら関係はないかもしれないけど。それでもあなたがいれば彼らとかけがえのない思い出を作ることはできていたと思うのです。

今日は本当なら卒業式があった日です。この2週間、様々なことがあり、様々な感情を重ね合わせ、思い出もいくつか出来ました。ただ、この日常にあなただけがすっぽりと抜け落ちているのです。理由を持って弾かれなくなったギターも、少し寂しげな表情で佇んでいます。あなたの死を受け入れている人はもうたくさんいるでしょう。そこまで大切に思ってなかったひとも少なからずいると思います。でも、僕は、大切な友人との約束や、大好きな後輩、同期、彼らとの一番の思い出を作れなかったことが本当に悲しくて仕方がないのです。今日、東京から友人がまた、いなくなってしまいます。それはすなわち、あなたの完全な死を意味しています。残念だったね、なんて言葉で片付けられないくらい、とても寂しいです。あなたの死によって、少しばかり得たものもありましたが、それにしても、ふと、あなたのことを思い出すと、悲しくてたまらないのです。どんなにあなたに似たものを探しても、あなた以外には存在しないのです。きっと、僕の人生においても、最も重要なものの一つになり得たでしょう。僕たちはあなたの存在しなかった3月を終えようとしています。どんなに思い出を作ってもまだ、僅かに受け入れ難いですが、もうすこし努力して、あなたの死を受け入れていきます。

 

敬具

 

 

 

 

 

 

 

追伸

あなたの復活を、それでも僕はまだ信じています。

ボランティア活動が嫌い

 

タイトルの通り、僕はボランティア活動が嫌いだ。

ボランティアサークルや国際交流サークルが多くの大学にあるし、ユニセフやあしなが募金などといった、ボランティアの団体も数多く存在する。テレビ番組では、24時間テレビがチャリティー番組として毎年24時間ぶっ通しで放送されている。これらをここではまとめて「ボランティア」と呼ぶことにしたい。

なぜボランティアが嫌いかと言うと理由は簡単で、驕っているからだ。

っていうか嘘を言わなかったり、綺麗事の謳わないボランティアなんて存在するのだろうか。国際交流サークルで靴とかを届けている大学生たちは、表面上は「貧しい子供たちのため」に活動をしているらしい。でも現実は違い、ほとんどの学生たちは就活のためにボランティア活動をしている。要は面接のための話題作りだ。そういう人種たちは、就活が終わった途端にボランティアのことなど忘れてしまう。飲み会の写真に「#人生一度きり」など寒いタグをこれでもかと添付してインスタにアップし出す。そんな当たり前のことほざいといてドヤ顔すんな。

たしかに、ほかの純粋な気持ちで活動をしている人もおそらくいるだろう。でも、それは絶対に「おごり」ではないと言い切れるだろうか。

「他人のために何かをする」ということは、「他人のために自分の時間を使う」ということだ。これは、どんなにその「他人」のことを想っていたとしても、ある程度は苦労が伴う。現に、他人のためにやってあげたことは、どんなに100%善意でやったことだとしても、その人からの感謝がないと、気分を悪くするだろう。

もししたことをそのされた人が望んでいたら感謝するだろうが、したことが全く望まれていなかった場合は地獄だ。例えば、AさんがジーパンをBさんにあげたとしよう。AさんはBさんに合うだろう、と思って真剣に選んだのだ。しかし、Bさんはジーパンが嫌いで、日常では全くジーパンを穿かなかった。だから、Bさんはジーパンをもらっても、歯切れの悪い「ありがとう」しか言えなかった。するとAさんは「あんまり嬉しくなかったかな」だったりひょっとしたら「せっかくあげたのになんだその態度は」などと思うかもしれない。この場合、AさんもBさんも満足感を得ることができない。もちろんリサーチ不足などの理由もあるだろう。だが、他人からの反応がなければ得られない満足感というのがそもそも脆弱なのだ。

 

少し話を変えて、僕が救われた一件のツイートの話をしよう。

今泉力哉 on Twitter: "誰かを勝手に救うのが映画のよさだと思っています。救おうとした瞬間におごりになるので。前から言ってるけど。勝手に救われる、以外の救いは存在しない。"

これは、偶然ツイッターで流れてきた、「愛はなんだ」などを撮った映画監督のツイートだ。これにはハッとさせられた。

僕はずっと「誰かを救いたい」という意思がとても強かった。ONE PIECEが大好きだったから誰かにとってのヒーローになりたかったし、誰かに喜んでもらいたかった。でもどこかで、自信のない自分の存在証明の手段でもあったかもしれない。誰かに必要とされることで承認欲求を満たしていたのかもしれない。

だから、誰かにやってあげたことで感謝されないとすごく不機嫌になったし、悲しい気持ちになった。感謝されるのが当たり前だと思っていたからだ。でも当たり前ではないということを知った。この世には感情表現が下手な人もいれば、そういうものをありがた迷惑に思う人もいる。場面や状況によっても、あげたものが逆に荷物になってしまうこともあるのだ。

救おうとした途端に何かを求めてしまう。これが「おごり」の怖さである。

じゃあ人は誰かを救うことができないのか、と言うとそうではない。「勝手に」救ってしまえばいいのだ。

これが簡単に思えて実は難しい。まず、勝手に誰かを救うためには、物事を主体的に楽しまなくてはいけない。幸福感を他人からの感謝や反応で得ないで、自分一人で幸福感を得ないといけないのだ。

これだけなら自分一人が楽しんでいればまだ簡単だが、目的は誰かを勝手に救うことなので、他人を巻き込まないといけない。これを実現するためには、圧倒的なコンテンツ力と、他人を救うための絶対的な「正義」が必要となる。しかも両方他人に迎合したものではなく、純粋に自分の内側から出てくるものでなくてはいけない。言い換えると、無意識下になければいけない、と言うことだ。

例えば、恋人にフラれた人がいるとしよう。フラれた人に対して、誰かが優しい言葉だったりをかけるだろう。しかし、その人のためを思って言った言葉は、ある程度その人が喜びそうなことや元気になりそうな言葉を選んで声をかけるだろう。それに、自分自身にも何らかの見返りがないと損した気分になる。これはおごりである。

一方で、フラれたことを知らないでその人にかけた言葉は、おごり一切なしの、純粋な自分の言葉だ。この場合、もしフラれた人が「救われた」と後に告げても、言葉をかけた人はそこで初めて救ってしまったことを知るだろう。なぜなら無意識に発した言葉だからだ。これが純粋な「救い」であると言うことなのだろう。

人に迎合しない分、どんな人がどんなことで救われるか全くわからないので、救うことが格段に難しくなる。しかも、結果誰がそれによって救われたかもわからないので、他人の反応による承認欲求を得ることもできない。

このツイートから、自分のやりたいことをやる。無理に他人を救おうとしない。そんなことを教わった。自分の本当にやりたいことだけをやろうと前向きになれたし、気持ちも楽になった。他人の顔色を伺うことも少なくなったし。つまりはこの人に救われた。でもこの人は僕が救われたことなんて絶対知ることはないだろう。この形が真の「救い」なのだ。

僕は本当の意味で誰かを救いたい。そのためには誰かを救ってはいけないんだ。そんなことを思いながら最近は生活している。僕の勝手にやったことで勝手に誰かが救われてればいいなあーと思う。それくらい誰かを救うのは気楽でいいのだ。

present from you

「ええと、うん そうだ いくつかの物語を プレゼントしてあげる ちゃんと読んでおくこと いいね」

 

僕がバンプと出会ったのは高校2年生の時だった。いや、天体観測とか虹を待つ人とかは知っていたんだけど、ちゃんと聴き始めたのは高2の時だったんだ。1年の時にもバンプ好きな友達がいたけど、2年の時の彼は1年の時の彼よりも熱心な布教者だった。頼んでもいないのにベストアルバムを貸しつけてくれた。最初はあまり気乗りしなかったけど、聴いていくうちにいい曲が多いな、って思うようになって、ユグドラシルとか、orbital periodとかのアルバムも、今度は能動的に借りるようになった。僕は周りの人の好みに非常に影響を受けやすいから、高2の時はバンプとback numberばっかり聴いていた気がする。彼は本当に変わった人で、スピードワゴンの小沢みたいなことをいつも言ってるような人だった。悪く言えばカッコつけで、もっと悪く言えばちょっと気持ち悪い、そんな人だった。そういえば高3のときにソラニンを一緒に見たうちの一人だった。というより彼の家で見たんだっけ。高校を卒業してからは一度も会っていないが、LINEのホーム画に男3人でディズニーに行っている楽しそうな姿が映っていて生存確認できた。会いたいけれど、そんなことをこちらから言い出すのは癪だな。いつか同窓会とかで会えたら楽しいかもしれない。

つい先日、バンプがサブスク配信された。アップルミュージックの狂信者である僕も当然聴いた。アルバムはパソコンにほとんど取り込んだはずだったが、消えてしまったものがいくつかあったからだ。僕と同様に、友達もみんなバンプを聴いているようで、インスタのストーリーにはアルバムのジャケット写真が頻繁に流れてくるようになった。バンプは高2の時と比べるとめっきり聴かなくなってしまったけど、久しぶりに聴くとやっぱいいな、と思った。あの時そこまで好きでもなかった曲に今になってハマってしまうのも面白い。

久しぶりに聴いてやっぱり思うけど、バンプの歌詞は優しい。人生の辛さとか、人間の醜さとか、そういうものを知っているからこそ出る包容力。そんなものが曲から感じられる。子どもっぽいって揶揄する人もいるかも知れない。でも彼らの作る絵本みたいな世界が実現したらどんなに素晴らしいだろう。僕も捻くれてるししょっちゅう世界に悪態をついてしまうけど、そんな理想郷をどこかで探している。逆に言えば、理想郷を求めるのをやめてしまったら本当に終わりだと思う。実現しないから諦めるんじゃなくて、実現しなくてもそれに向かって一歩でも二歩でもいいから進む、それが大切なんじゃないかな、と思う。もちろん後ずさりしてしまうこともたくさんあるから、理想にはまだまだ果てしなく遠いけど。バンプみたいに良いところも悪いところも、傷や痛みも全部ひっくるめて「腕の中へおいで」って言えるような人になりたいな。

同じようにサブスクでバンプの曲を聴いている友達と話をしていたら、高2の時の彼のことを思い出してしまった。もちろん彼だけじゃなくて、今までたくさん出会ってきたバンプ好きの人たちのことを思い出させてくれた。音楽に思い出がくっついてて、音楽を聴くたびに大切な人とか言葉とか景色を思い出せるのって良いよね。言い換えれば、音楽が作ってくれる物語なんだ。

彼みたいにちょっとキザなことを言ってしまったな。でも、言うまでもなく、僕も気持ち悪い側の人間なんだ。

浅野いにおが好きな友人の言葉に寄せて

あの時 こうしていれば
あの日に戻れれば
あの頃の僕にはもう戻れないよ

 

 

 

最初に言っておくけど、これは負け犬の遠吠えだ。

 

昨日、第一志望の企業の面接を受けた。2月の説明会で知ってから、ずっと行けたらいいな、と思ってたところだった。正直、書類すら通ると思っていなかったので、面接に進めると知った時「これはワンチャンあるのでは?」と思ってしまった。甘かった。グループ面接の隣の人が優秀で、僕まで話に引き込まれてしまい、彼の話に頷いていたら面接はいつのまにか終了していた。面接の5時間後には不採用のメールが送られてきた。あっさりと僕の就職活動は、内定が一個も取れないまま終了した。

面接必勝法とかマナー講座とか、そういう小手先の技術ではどうにもならないような、もっと自分の根底にある性格や習慣が悪いと思えてしまって、辛いとか悲しいとか云々よりも虚無を感じた。どうにもならない、という虚無。昨日落とされた時も「そりゃそうだよな」としか思えなかった。就活をもっとちゃんとやっておけばよかった、とかももちろん思うけど、そもそも自分は社会人になれるほど成熟した人間じゃないんじゃないか、という思いが頭をもたげてくる。些細なミスは多いし、すぐいろんなことを忘れるし、話すのは下手くそだし、落ち込む時は何もできないほど落ち込むし、マナー講座とかクソ喰らえって思っちゃうし。結局のところ、自分に一番内定を出したくないのは他でもない自分自身だった。

何より、就活以外にやらなきゃいけないことが多すぎた。教育実習もそうだし、卒論もそうだし、授業とかサークルのことも、それから人間関係のこともそうだった。それはそれで得られるものはあったし、ずっと続けてきたことばかりで蔑ろにしたくなかった。それについて深く考えたことは後悔していない。ただ、自分が両立できなかっただけだ。

正直にいうと、この期間自分は何をしたかったのかよくわかっていない。きっと第一志望のところに受かっていたら「ずっとやりたかったことができる」とはしゃいでいただろうな、と思う。でも今は「本当にやりたいことは違う」と思っている。これは間違いなく逃避だってわかるけど、今は勘弁してほしい。

何が正解かなんて誰にも分からない。それを他人に押し付けられる筋合いはない。とにかく僕は自分の中の理想を追い求めたい。追い求めたすぎて訳の分からないことになっている。やりたいことは両手でも片付けられないほどたくさんあって、それを全て叶えようとすると人生を10周しても叶えきれない。でも、DQNがよく言ってるように、残念ながら人生は一度きりしかない。これは悲しいことだ。

だからこそ、僕らは葛藤するんだろうな、と思う。かっこ悪くてつまんない大人になんかなりたくない。ならない方法があるなら教えてほしい。どうすればいいんだ。僕は僕として生きたい。僕はあの人みたいにかっこいい人になりたい。…ああ、この2つの欲望ですら矛盾していて笑える。

兎にも角にも、僕の就職活動は絶賛大失敗中だけど、今が底のようには思えない。だって苦しいと思った時期はこれまでにいくつもあったけど、今はなんとか呼吸をしている。それだけでも褒め称えてほしい。

就職活動が失敗したので、大学一年生の春にこの大学、この学部で一番やりたかったことをちょっとやってみようかな、と思う。もうすでに失敗しきっているので、それが失敗したって、どうってことはない。明日から頑張るぞ。

タイトルの友人とは、実は一回しか飲みに行ったことがないけど、SNSを見てると考え方がかなり似てるんじゃないかと勝手に思ってるし、勝手にこんなブログを書いている。ああ、もう一回、とは言わず何回か遊びに行けたらいいな。西荻窪に行きたいんだ。事情はよく知らないけど、お互い頑張ろう。もちろん現在進行形で頑張ってる全ての人たちも。なんとか頑張っていこう。

全然まとまっていないクソみたいな文章だけど、最後に僕の好きな漫画で締めくくりたいと思う。

 

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コンコルドの真理(教育実習を終えて)

教職課程をいつ辞めるか、そればっかりを常に考えていた。面倒臭いものでしかなかったし、ネガティブキャンペーンしかしない大学の教授も、意識ばっかり高い頭でっかちの教ゼミ生も、理由をでっち上げて履修を辞めていく友達も、全てが嫌いだった。でも、辞めるほどの勇気はなかったし、積み上げてきたものの重さを考えると、もったいなくて辞められなかった。だから、どうすることもなく続けてしまった。こういうのをコンコルドの誤謬というらしい。

そんなテンションで3週間の教育実習を迎えてしまった。

 

初日はもちろんわからないことだらけだったし、現職の先生からのプレッシャーもすごかったし、大学生活と社会人生活の生活リズムのギャップに、身体は1日で悲鳴をあげた。だが、2日目からは精神的な苦痛は和らいでいった。週末に運動会があったこともあり、7時半の朝練に行かなければならなかったから、勤務時間はむしろ増えたが、楽しいことがその日から増えていった。もともと行事は大好きだったし、生徒たちが躍起になりながら大縄を跳んだりリレーでバトンを繋ぐ姿を見るのは、自分の中学時代が蘇ってきて、懐かしかった。あまり好きじゃなかった給食や、面倒臭かった掃除ですらも、失われて二度と手に入れられないものばかりだったから、今の精神と身体のままタイムリープしたかのような幻想感があった。

そして、運動会は言うこともなく楽しかった。生徒たちの競技を見るのも楽しかったし、意外な人物の脚が速かったり、リーダーシップを発揮していたり、生徒たちの意外な側面を見られて面白かった。そして、自分も選抜リレーで先生チームとして競技に出させてもらい、8コ下の中学生相手に大人げもなく本気を出し、1位でバトンを渡した。結局先生チームは3位に終わったし、運動不足だった僕は走った後30分くらい動けなくなってしまい、先生や生徒にたくさん心配された。運動会の結果としては、最終的な僕のクラスはあまり良くなかったが、それでも楽しんでやれたから良かった、と実行委員の生徒が言っていてそれが印象的だった。先生たちの打ち上げに参加させてもらったのも楽しかった。

2週目からは、実際に授業をすることになった。でも、授業のことを書くと意識高そう、と敬遠される気がするので、書かないでおく。結果だけ言うと、ボロボロだったし、生徒はたくさん寝てたし、うるさくもなったけど、最後の研究授業はそこそこうまくいった。なによりも、僕の敬愛する指導教員の先生と、大学でお世話になっている井上先生に褒められたので良かった。その二人が一堂に会しているのを見て、一章のライバルと二章のライバルが三章でタッグを組んだ、みたいな感動があった。とにかく、両先生を落胆させるようなことがなくて、本当に良かった。あ、道徳の授業では、世界の終わりの「天使と悪魔」という曲を教材に使用して授業を行った。題材は良かったが問題の設定がアバウトすぎて、あまりいい授業が出来なくて悔しかった。それがこの実習期間で一番悔しかった。

そして最終日はクラスに手紙を書き、弾き語りをした。スーツを着て中学校にギターを持っていく姿は、周りからみれば不思議な光景だっただろうな、と思った。曲はthe pillowsのFunny Bunny。僕が子どもに伝えるとしたら「君の夢が叶うのは誰かのおかげじゃないぜ」だな、と思っていたのでこの曲を選んだ。中学生なんてこの曲は全く知らないだろうし、いきなり弾き語られても困惑するかな、などと考えたので、やるか迷っていたが、指導教員の先生の後押しもあり、やることにした。アコギを教室に持ってきてケースから取り出した瞬間、大歓声が起きた。オレンジのピックでDコードを鳴らすたび、教室がざわついた。教室でギターを弾いて歌うなんて経験はもちろん初めてだったので、足が震えた。いつものライブの10倍くらいは緊張していた。ああ、という歌声が教室中に響いた。生徒たちが、僕の歌の歌詞の一つ一つに耳をすませて、興奮と恍惚の混じった眼差しでこちらを見ていた。いつのまにか教室の外にも他クラスの生徒があふれていて、ドアを少し開けたり、ドアの上の窓から顔を出したりして音漏れを聴いていた。もう夢中で6本の弦を掻きむしって、叫ぶようにして歌った。

曲が終わると、教室の外からも中からも、アンコールの大合唱が鳴り響いたが、時間がなくて出来なかった。曲が終わると、学級委員が僕に寄せ書きをプレゼントしてくれた。丁寧にラミネート加工してあって、リボンが結んであった。中学生の生徒たちなりの心温まるプレゼントだった。最後の号令をかけて、ありがとうございました、と深く礼をした。終わった。と思った。号令が終わると何人かの生徒が駆け寄ってくれて、今度バンドやるんですとか、今までありがとうございましたとか、行事見に来てくださいとか、色んな言葉をかけてくれた。ギターをやってるんだと興奮気味に伝えてくれた生徒2人には使っていたピックをあげた。驚きと興奮の混じった表情で、深く御礼をしてくれた。彼や彼女たちも軽音やったり弾き語りをしたり、それから音楽好きな友達と出会って、好きな音楽を語り合ったりするのかな、と思うと胸が熱くなった。彼らの人生の少しのきっかけになってしまった、と考えると少し荷が重いような気がするが、僕のしたことがいい方向にいってくれたら嬉しいな、と思う。

サークルに入ってギターを始めて、それから人前で歌うようになって、本当に良かったな、と思う。僕が僕として僕の人生を歩いてきて、本当に良かったなと思える。

 

教育実習を終えてみて、何度も辞めよう辞めようと思っていたが、結果的には辞めなくて良かった。この4年間で塾講師や小学校の支援員のバイトをしたり、教育というものに深く関わってきたが、それに関して言えば、この3週間は一番濃厚な3週間だったと思う。もちろんめちゃくちゃしんどかったし辛かったけど、その先には見たこともないような景色や、聴いたこともないような声が聞こえた。自分が中学校で授業をしている、というのは最後まで信じられなかったけど、これが4年間の成果なんだと思うと、本当に続けてきてよかったと思う。楽な楽しさじゃなくて、なにかをやり遂げたんだ、という達成感が大きくて、そういう意味で本当にこの3週間楽しかった。教師になるにせよならないにせよ、それだけは決して覆ることのない事実だ。もちろんかなり色々なものを失ってここまで来た。でも、代わりにかけがえのない思い出を得ることができた。いつか得るであろう教員免許は、大学生活で4年間の僕の歩みを証明する賞状でもあるんだろうな、と思う。なんでもいいから大学生活で何かを得たい、と思って始めて教職課程は、ずるずる辞められずに仕方なく続けてしまった、と思っていたが、最後の最後に大成功に変わった。僕を応援してくれた生徒や、指導教員の先生には感謝してもしたりない。

僕が僕として生きててよかった。