ベーシスト

「追い続ける勇気があれば全ての夢は実現できる」

これはウォルトディズニーの言葉で、僕が一応座右の銘としている言葉だ。続けるだけで夢が叶うなら簡単だな、と中学生くらいの時は思っていたけど、歳を重ねるにつれ、ただ「続ける」ことの大切さ、そして難しさが身に染みてわかる。

友達のやってるバンドのベーシストが脱退した。理由は知らないけど、とにかく今日でバンドを辞めた。背は低いくせに大きなベースを自分の身体の一部であるかのように操っていた。それが、すごくかっこよかった。時々ベースのヘッドが跳ねるように揺れて、一曲一曲に情熱を込めているのが分かる。どんな曲でも、どんな状況でも、彼女はいつも本当に楽しそうに音楽をやっていた。辛いこともあったのだとは思う。でも、ステージで大きなベースを握りしめた彼女は最後まで笑顔だった。多分、仄暗いライブハウスに時々彼らの音楽を聴きに行くだけの僕らは、彼らの苦労を本当の意味で知らないのだろう。バンドを続けることの大変さをきっと知らない。でもきっと、ドラムの彼が言っていたように、彼らの二年間はとても意味のあるものだったんだろうな、と思った。

まっすぐで情熱的なボーカルギターとドラムを、冷静で頭脳明晰なベースが支える、そんなバンドのバランスは凄くいいものだったと思う。それはステージを降りても、彼女の冷静さは彼らにとって必要だったはずだ。次の人がどんな人かはわからないが、彼女にすぐ取って代われるような人なんて簡単に現れないはずで、それだけあのバンドから彼女がいなくなる意味はきっと大きい。

ただのリスナー兼サークルメイトの僕らはきっと、大したことなんて言えないだろうけど、でも、ライブハウスでの彼らはものすごく輝いてて、ライブを見るたびに羨ましかったし、悔しかった。それだけ彼らの存在は偉大なものだった。これから彼女がいなくなって、別の人がベースを弾くようになって、どのようなものになっていくのかは分からない。でも、彼らはきっと変わり続けていくんだろうな、と思う。あのバンドがどんなに大きくなっても彼女が二年間あのバンドで音楽をやっていたという事実は、決して変わらない。ウィキペディアに載って、旧メンバーの欄に彼女の名前が載ったらロマンがあるよな、と思う。紛うことなく、あのバンドのメンバーだったんだ。

兎にも角にも、二年間お疲れ様でした。

孤独の対義語って何?

 疲れている、と感じたらまずは睡眠を取らなくてはいけないのに、睡眠を削ってまで文章を書く意味とは一体なんだろう。

「孤独」の対義語って何だ?と考えたのがこの文を書く気になったきっかけだ。開店の対義語は閉店、昼の対義語は夜、など色んな言葉に対義語はある。その中で、孤独の対義語は見当たらない。一人の反対だから、大勢か、と一瞬思うが、それも違う。グーグルで調べたら「連帯」だというらしいが、あまりしっくりこない。しっくりこないので、この文では孤独の対義語を「逆孤独」と表現することにする。

多かれ少なかれ、誰しもが孤独を感じたことがあると思う。僕が最も孤独を感じるのは、意地の悪いことに、誰かが孤独でない時だ。渋谷、大学、電車内など、この街にはいかんせん人が多すぎる。周りには人が多いはずなのに僕は孤独を感じてしまう。

仲のいい友人に恋人が出来た時も孤独だった。普通はそれを祝福しなければならないはずなのに、僕は出来なかった。孤独だったからだ。

孤独というのは本来は存在しない感情なのかもしれない。言葉の意味を考えると不思議だが、究極に一人でいる時には「孤独」なんて感情は存在しないのではないか。ゲームをしたり、本を読んだりしているときは、孤独を感じることはない。そこでは、「自分」が全てだからだ。本を読んでいるとき、本を読んでいる人間は自分以外にいないはずだ。だが、SNSを見たり、一人の世界から一歩外に出ると、たちまち孤独を感じる。自分の世界が「一人」でなくなったとき、初めて「孤独」という概念が生まれる。逆孤独の人がそこに存在するからだ。

back numberの「sympathy」という曲の中にこんな歌詞がある。

例えば今日君が 丸い地球の裏にいたって 

隣にいたって 心が見えないのは

同じじゃないか

人の感じ方次第だとは思うが、僕はこの歌詞の主人公は孤独を感じたのではないかと思う。普通、隣に誰かがいるときは普通最も逆孤独を感じる瞬間なのではないだろうか。隣にいる人とも分かり合えないということは、よく言えば、人間がオンリーワンであることを意味するが、悪く言えばどこまでも一人きりだということになる。隣に人がいる、という孤独とは最も遠い空間の中においてさえも、なぜ孤独は発生してしまうんだろう。(いい感じに「孤独」という漢字がゲシュタルト崩壊して虫のような奇妙なものに感じてきたのではないだろうか。)

孤独って結局よく分からない。人と話していても孤独に陥るときは稀にあるし、一人でいても一切孤独にならないときはある。結局のところ孤独は自分の心情なのだから、周りに人が何人いようがいまいが、等しく孤独を感じてしまうのではないだろうか。「連帯」が孤独の対義語だと言うが、むしろ他人と連帯することによってこそ孤独は生まれる気がする。果たしてほんとうにこれが対義語だと言えるのだろうか。

完全に個人の意見になってしまうが、僕は「充足」を孤独の対義語としたい。(知恵袋では叩かれていたが)結局孤独を感じない時って、一人でいる時でも、大勢でいる時でも、心が満ち足りている時だと思う。心がスカスカになっているその状況そのものが孤独というよりは、さらによって孤独が発生する、と言った方がより近い感覚はするので、真の対義語と言えるかはわからないが。

とにもかくにも、「寂しい」「孤独だ」と感じたら、きっと何かが足りていないんだ。時間や心の隙間を埋めてくれる何か。それは人であったり、趣味であったりする。いや、もしかしたら「睡眠」かもしれない。

だから、孤独であっても、無理に連帯する必要なんかなくて、孤独から抜け出したいなら自分の心を満たしてくれる何かを見つけることが肝心なのではないだろうか。そうすれば、孤独を感じる隙もなくなっていくはずだと思う。

そして繋がる

11月の半ばから、慢性的な悩みや不安に悩まされていて、でも原因は分かっていて、例えば演習の発表だったり、次の幹部決めだったり、曲の練習だったりした。それらが昨日で全てを解決されて僕は浮かれていた。はしゃいだし、たくさんお酒を飲んだし、もうとにかく、天にも昇る心地だった。まだふわふわ宙に浮いてはいるが、今の思いをここに書きたいと思う。

今年一年間を図式化するならV字になると思う。幹部が始まった直後は、仲のいい人ばかりが幹部になって、未来への期待感で胸を膨らませた。何より先輩から認められたことが、やっとサークルの輪に入れたような気がして嬉しかった。初めての幹部会も楽しくて、一年間仲良くやっていけたらいいね、と楽観的に語っていたのを覚えている。

だがそんな楽観は長くは続かなかった。3年に入って、仕事の大変さを知った。正確には、生活との両立の大変さを知った。前まで権利だったものが義務に変わってしまって、サークルそのものが嫌いになりそうだった。演習発表と重要な仕事が被って忙殺された時もあったし、仲間が嫌になった時もあった。

そんな絶望的な日々を過ごす中で、救ってくれたのは色んな人だった。それはサークル内の人だったり、サークル外の人だったりした。彼らに僕は窮地を救ってもらったと思っている。彼らがいて良かった。

僕は、彼らのために仕事をしたいと思った。彼らがなるべく笑っていられたり、感動できるような、そんな場所を作りたいと思った。もちろん僕にできることなんて本当に些細なことで、多分気づかないようなことばかりだったと思う。でも、とりあえず自分にできる範囲で真面目に頑張った。(それでも失敗することはあった。すみません。)

そして、そう思ってからはそこまでの日々を巻き返すように素晴らしいものになっていった。あまり喋っていなかった同期の人と信じられないくらい仲良くなったり、喋れなかった後輩と喋れるようになったりした。イベントも全部大成功で、もう全てが正解のような気がした。全てを許してくれた同期、見守ってくれた先輩とついてきてくれた後輩、みんなが愛おしかった。彼らはここを愛してくれて、涙を流してくれた。かっこいいと言ってくれたり、一緒に寄り添ってくれたりした。それだけで僕らのやってきたことは正解だったのかな、と思う。

あっという間に、終わった。気がついたら僕たちは自分たちが信頼を置く後輩たちを遠くから眺める存在になっていた。きっと先輩たちもこんな気分だったんだろうな、と思った。今年一年を振り返って、全てが楽しくて何もかも大成功だった!なんて振り返りは僕にはできない。でも、辛酸を舐めたからこそ、今の幸せが愛おしい。失敗や辛かったことがあったからこそ、その分手にした成功や楽しかったことが輝いて見える。星はネオンライトの光で彩られた都会で輝くことはなくて、月の光も見えない真っ暗な夜にこそ輝くんだと実感した。

きっと、来年一年は今年とはまた違ったサークルになっていくだろう。辛いこともあれば、楽しいこともきっとあって、孤独や自己嫌悪に苛まれることもあるだろう。でも、きっと上手くいくはず、と僕は楽観的に考えている。僕らは彼らを信頼してるし、彼らだけじゃなくて、みんなを信頼している。幹部になろうとも、ならなくとも、同じ仲間であることは変わらないから、どうか周りを信じてほしい。何かが嫌になったら、誰かに話してほしいし、聞いてあげてほしい。自分の生活を出来るだけ優先して、気楽にやってほしい。でも、頑張るところは頑張ってほしい。自分がうまくいかなかったところも、うまくいったところも思い知ったからこそ、言いたいことはたくさんある。襷を渡す立場になって、不安もあるし、強引に渡すことになってしまう申し訳なさもある。でも、きっと得られるものはたくさんあると思っている。上から目線になってしまって心苦しいが、きっと彼らなら上手くやってくれると思う。僕らの願いは繋がっていくと思う。幹部も、非幹部も、全員がこのサークルを今よりもっと愛することができますように。

何かあったら頼ってください。(頼りになるかは分からないけど)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SUPER BEAVER 「そして繋がる」

 

明日に願いを繋ぐために 僕らは今を戦っている

望む未来が今に変わる その瞬間をイメージして

 

笑いながら俯いてる 君に何も言えなかった

まるで僕を見てるようで 言えなかった

手放せれば楽だとして 出来ないから 苦しいんだよ

その矛盾が また心を締め付けてく

それでも僕らが 諦める事が出来ないのは

涙の理由が 同時に希望だから

 

明日に願いを繋ぐために 僕らは今を戦っていく

望む未来が今に変わる その瞬間をイメージして

 

過去を責めてそれを盾に 誰にとなく言い訳した

そんな夜は消えたいほど 虚しいよな

不透明な世界だから 進むにもさ 勇気がいる

正解とか不正解とか 多分無いから

それでも僕らが歩みを止めようとしないのは

答えが無いなら可能性があるから

 

明日に思いを託せるように 僕らは今を戦っていく

望む未来が今に変わる その瞬間をイメージして

 

昨日の僕が今日の僕に どうしても渡したかったのは

いつかの僕が覚悟を決めて 踏み出した日の記憶

 

そして願いは繋がっていく 望む未来へ繋がっていく

大切ならば手放すなよ 涙の理由を信じ続けてよ

僕らは今を戦っている

なんとなく僕たちは大人になるんだ

1年目。先輩たちとの途方も無い差を感じて恐ろしかった。2年目。先輩たちとの微妙なテンションの差を感じながら、後輩ができて先輩たちの心情も理解できるようになった。

そして3年目。そもそも始まる前から準備も色々ありなにかと億劫だった。周りの冷めた態度や金銭面での大きな損失を考えると心から楽しむことはできないんだろうなと考えていた。

結果から言うと、全くそんなことはないどころか、むしろ真逆だった。

 

1年生。

2年前の僕がそうだったように、1年生とのギャップを感じずにはいられなかった。TikTokやってる高校生みたいなテンションと、朝になるまで歌い続けるエネルギー。若い若いなんて言ってる同級生をバカにしていたが、いよいよそれを認めずにはいられないなと思った。実際にそれまでの僕らと彼女たちとの間にある差はかなり深刻だったように思えたので、今回はそれを埋めることを僕の中で最優先事項としていた。1日、2日と夜が明けていき、挨拶や軽い会話くらいは交わせるものの、やはり決定打を打てるような機会は得られなかった。しかし3日目、あれほどライブハウスでつまんなそうにしていた彼女たちは、飛び上がって大声で曲を歌っていて、その変化があまりに劇的すぎて驚いた。夜になると、酒の勢いを借りて誰彼構わず出会う人全てに声をかけて、星空の下へと連れ出した。文にすると穏やかだが、実際には奇行と言わざるを得ないだろう。しかし彼女たちはそんな奇人についてきて、一緒に歓声を上げて星空を眺めてくれた。僕はあの人たちみたいな素晴らしい先輩になれただろうか。期間の短さや2年のジェネレーションギャップなどないものにできただろうか。いや、今回ないものにできなくても、これから少しずつ埋めていければいい。

とにもかくにもこれで役者は揃った。

 

2年生。

頼もしくなったな本当に。いや、たしかに元から頼もしくて、危機感すら感じていたが、今回の合宿で2年生の頼もしさや力強さを強く実感することになった。僕のとんでもない無茶振りに応えてくれたし、1年生とのコミュニーケーションも素晴らしかった。写真を撮ってくれたり、僕らの仕事を手伝ってくれた。終わってからも、1年生を積極的に遊びに誘ったり、バンドを組もうと言ってくれたり、その積極性によって時には傷つくこともあるかもしれないが、それを失くさずに行って欲しい。そんな姿を見て、これからはこいつらが僕らの後を受けて働いてくれるんだろうなと強く感じた。立派に先輩になったんだな、と思った。でも、酒を飲んだ時にふと見せた涙や「留年しろ」の言葉はやはり嬉しかった。まだまだ可愛い後輩だ。まだまだ負けられないし、先輩としての威厳も見せなければならない。

ここからが本当の勝負だ。

 

3年生。

本当に感謝している。僕が1年生と仲良くなれたのも、影で動いてくれた同級生たちのおかげだと思う。朝方の彼らの死にそうな表情は忘れられない。自分を殺して本当に色々やってくれた。僕は自分のやりたいことだけやって、嫌なことは一つもしなかった。あと3ヶ月、もう少しだけ一緒に頑張っていこう。そんな中でふと見せた笑顔はやはり印象的だった。「楽しそうに生きていれば、地球の重力なんて、なくなる」そんな言葉を僕は思い出していた。とてつもない重力にも彼らは耐えて、楽しそうに振舞っていた。最高の同級生だと思う。僕はこの学年でよかった。大きすぎる課題をクリアして、いよいよ終わりへと続いていくが、一番長く一緒に居られる学年だからこそ、一番大切にしていきたいな、と思う。楽しいことだけじゃなく辛いことも一緒に乗り越えていこう。

まだまだ言いたいことが溢れすぎるので、それはまた今度にとっておこう。

 

そして先輩たち。容姿が変わってしまっても、あの時に見ためちゃくちゃな言動は、不本意にも僕たちは引き継いでしまったように感じる。もちろん僕はあの人たちみたいになりたかったので、良いところももっと引き継いでいけたら良いなと思う。タメ口で叫んでも、私物を勝手にびしょ濡れにしてしまっても許してくれてありがとうございました。

 

間違いなく大人になってしまった僕たちの音楽は、大人を知らない後輩たちを新たに迎えて、いよいよラストのサビへと向かって激しさを増していく。まだまだやりたいことが山ほどある。悔いなど残さないために、一分一秒を大切にできたら良いなと思う。

 

 

 

 

ああ どうか どうかお願い

ずっとずっと笑っていておくれ

ああ 僕は 僕は 

いつまでたってもドキドキしてたいんだ

 

 

(2018年 9月8日投稿)

忘れた

テレビでふと、戸田恵梨香主演のドラマを目にした。内容はよくわからないが、若年性アルツハイマーの女性が主役のドラマだ。

将来アルツハイマーになるんだろうなーと冗談交じりに言った。もうなってるようなものか、とも付け加えた。実際本当に物忘れがひどく、10秒前のことでも忘れていることが度々ある。脳の病気とかだったら怖いな、と思う。バイトでも色んなことを忘れて、よく客や先輩に叱られることがある。これでは社会人になったら大変だろうなあと漠然と思う。それでも、社会人になってもこの健忘は変わらないような気がする。

全てを忘れてしまう病気になることを想像した。恋人の名前すら覚えていられない病気。恐ろしいな、と漠然と思う。というより、それしか思うことができない。あまりに未知の世界すぎて、現実感がまるでない。でも、それが訪れない世界が存在する確率の方が少ないかもしれない。自分には今すぐに忘れたい黒歴史や、苦い思い出が山ほどあるし、そんな思い出ほどなかなか消えずに、たまにひょんなことから、まるで池に石を投げた時に底に沈殿していた土がふわっと舞い上がるように、黒歴史が記憶の底から浮き上がることがある。その度に僕は身悶えしたり、頭を抱えたり、眠れなくなったりする。

だが、そんな忘れたい黒歴史と同じくらい、忘れたくない思い出もたくさんある。彼女の家からの帰り道に下り坂で見た夕焼け、どこまでも果てしない誰もいない砂浜、みんなで見た満点の星空。流れ星。それから、涙を流した音楽。君の匂い。ハンバーガーやコーラの味。顔を引きつらせて笑う口元。夜の冷たい風。お酒の火照り。思えば僕はもう20年以上もの間何百人もの人と付き合い、話したり、時には手を握ったり、肩を組んだりしてきたのだ。そりゃ、思い出も増える。当たり前だ。いつか見た夏の海も、冬の星も消えてしまうだろう。なくなってしまうだろう。でも、多分僕が覚えていればそれでいいと思うし、忘れたくはないが、忘れても思い出せればそれでいいと思う。景色を忘れても、大切な人がいたってことさえ覚えていればそれでいいと思う。それでも、僕が君たちを忘れてしまったら、その時はまた、忘れたくないと思えるような思い出を作りに行こう。夏の海も、冬の星も、誰かの名前も、なにかを忘れてしまってもいいから、どうか僕がなにかを愛することは忘れませんように。

 

 

 

 

 

いつか全て忘れた頃、無くした頃

あなたと居た あなたと見た

半径1メートルの世界だけはもう

譲れはできないなって 

そう思えるから

今日も生きれたんだ

 

 

2018年 10月26日投稿)