孤独の対義語って何?

 疲れている、と感じたらまずは睡眠を取らなくてはいけないのに、睡眠を削ってまで文章を書く意味とは一体なんだろう。

「孤独」の対義語って何だ?と考えたのがこの文を書く気になったきっかけだ。開店の対義語は閉店、昼の対義語は夜、など色んな言葉に対義語はある。その中で、孤独の対義語は見当たらない。一人の反対だから、大勢か、と一瞬思うが、それも違う。グーグルで調べたら「連帯」だというらしいが、あまりしっくりこない。しっくりこないので、この文では孤独の対義語を「逆孤独」と表現することにする。

多かれ少なかれ、誰しもが孤独を感じたことがあると思う。僕が最も孤独を感じるのは、意地の悪いことに、誰かが孤独でない時だ。渋谷、大学、電車内など、この街にはいかんせん人が多すぎる。周りには人が多いはずなのに僕は孤独を感じてしまう。

仲のいい友人に恋人が出来た時も孤独だった。普通はそれを祝福しなければならないはずなのに、僕は出来なかった。孤独だったからだ。

孤独というのは本来は存在しない感情なのかもしれない。言葉の意味を考えると不思議だが、究極に一人でいる時には「孤独」なんて感情は存在しないのではないか。ゲームをしたり、本を読んだりしているときは、孤独を感じることはない。そこでは、「自分」が全てだからだ。本を読んでいるとき、本を読んでいる人間は自分以外にいないはずだ。だが、SNSを見たり、一人の世界から一歩外に出ると、たちまち孤独を感じる。自分の世界が「一人」でなくなったとき、初めて「孤独」という概念が生まれる。逆孤独の人がそこに存在するからだ。

back numberの「sympathy」という曲の中にこんな歌詞がある。

例えば今日君が 丸い地球の裏にいたって 

隣にいたって 心が見えないのは

同じじゃないか

人の感じ方次第だとは思うが、僕はこの歌詞の主人公は孤独を感じたのではないかと思う。普通、隣に誰かがいるときは普通最も逆孤独を感じる瞬間なのではないだろうか。隣にいる人とも分かり合えないということは、よく言えば、人間がオンリーワンであることを意味するが、悪く言えばどこまでも一人きりだということになる。隣に人がいる、という孤独とは最も遠い空間の中においてさえも、なぜ孤独は発生してしまうんだろう。(いい感じに「孤独」という漢字がゲシュタルト崩壊して虫のような奇妙なものに感じてきたのではないだろうか。)

孤独って結局よく分からない。人と話していても孤独に陥るときは稀にあるし、一人でいても一切孤独にならないときはある。結局のところ孤独は自分の心情なのだから、周りに人が何人いようがいまいが、等しく孤独を感じてしまうのではないだろうか。「連帯」が孤独の対義語だと言うが、むしろ他人と連帯することによってこそ孤独は生まれる気がする。果たしてほんとうにこれが対義語だと言えるのだろうか。

完全に個人の意見になってしまうが、僕は「充足」を孤独の対義語としたい。(知恵袋では叩かれていたが)結局孤独を感じない時って、一人でいる時でも、大勢でいる時でも、心が満ち足りている時だと思う。心がスカスカになっているその状況そのものが孤独というよりは、さらによって孤独が発生する、と言った方がより近い感覚はするので、真の対義語と言えるかはわからないが。

とにもかくにも、「寂しい」「孤独だ」と感じたら、きっと何かが足りていないんだ。時間や心の隙間を埋めてくれる何か。それは人であったり、趣味であったりする。いや、もしかしたら「睡眠」かもしれない。

だから、孤独であっても、無理に連帯する必要なんかなくて、孤独から抜け出したいなら自分の心を満たしてくれる何かを見つけることが肝心なのではないだろうか。そうすれば、孤独を感じる隙もなくなっていくはずだと思う。